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コンドリュ ②地質/地図2023/3/23

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地質

コンドリュのブドウ畑は、中央高地(Massif Central)の東端に沿い広がっている。(補足:中央高地はフランス南部の地域で山地や台地からなりフランス国土のおよそ 1⁄6 の面積を占める)

ヴィエンヌ(Vienne)に隣接するサン・ロマン・アン・ガル(Saint-Romain-En Gal)とセリエール(Serrières)の間にあるこのローヌ渓谷右岸エリアは極端な地形変化が特徴で、渓谷の谷底部分にあたる平均標高 140 mの平らな段丘面である沖積層と平均標高 350 m のペルシン高原(Pélussin)の間の非常に急な斜面がブドウ栽培エリア。シャイエと呼ばれる多数の狭い階段状の地形は花崗岩の岩盤にしがみつくようにあり、狭く、持続的な手入れが必要とされる。 ローヌ渓谷北部のこの地域で地質時代から最新の時代まで続いた出来事は互いに強く結びついており、特定の構造的、形態学的岩石学的観点よりコンドリュアペラシオンのブドウ畑の開発の基本的な要素の1つを構成している。

 

 

参照 地質についてさらに詳しく

https://www.vin-condrieu.fr/vin-aoc/en/geologie

 

 

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General Map of Côtes du Rhône/北ローヌ地図

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Map of Condrieu/コンドリュ地図

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Géologic Map/コンドリュ周辺地質地図

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AOCコンドリューワイン生産者連合サイト参照

https://www.vin-condrieu.fr/vin-aoc/en/home


コンドリュ ①基本情報2023/3/22

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(写真はコンドリュにあるフランソワ・デュマのブドウ畑)

 

◆エリア

フランス・リヨンの南約40 km、ヴィエンヌから約10kmのローヌ渓谷に位置、3県(デパルトマン)をまたぎ7つの自治体に広がる。ローヌ県コンドリュー(Condrieu)、ロワール県ヴェラン(Vérin)、サンミッシェルシュルローヌ(Saint-Michel-sur-Rhône)、シャヴァネ(Chavanay)、マルヴァル(Malleval)、サンピエールドブーフ(Saint-Pierre-de-Bœuf)、アルデーシュ県リモニー(Limony)

 

ローヌ河右岸(西側)、pilat(ピラ)山塊の麓にあたる急斜面で栽培され、傾斜が50%以上のところも多くテラス(階段状の畑)になっており栽培は大変注意深く行われています。

 

 

◆ブドウ品種
ヴィオニエ・ドレのみ(Viognier Doré)※Doreはゴールデンの意味

 

 

◆詳細
AOC:1940年~
白ワイン
ブドウ品種:ヴィオニエ
AOC表面面積:260ヘクタール
生産面積:約170ヘクタール
土壌:分解された花崗岩
特徴:段々になったブドウ畑、南・南東向き
標高:約250m
最大許可収量:41 hl / ha
平均年間生産量:6000 hl
※コンドリュ公式データ参照

 

 

コンドリュワインのアペラシオンは、

インスティテュート・オブ・コントロール・ド・アペラシオン認定の管理機構である “Syndicat des Vignerons del’AOC Condrieu” により管理されています。AOCの最後の改革以来、防衛管理機構ODG (l’Organisme de Défense et de Gestion)は、INAO(国立原産地名称研究所)と共同でアペラシオンの規定や仕様、その順守を管理する責任を担い、またあらゆる偽造ワインの監視、コート・デュ・ローヌの専門家組織「インターローヌ」や「コート・デュ・ローヌ・セプテントリオナーレス技術協会」およびローヌ・ロワール農業会議所によるサポートを受けるワイン生産者に対して成熟度管理、トレーニング等の技術支援をしています。新しい防衛管理機構ODGは、AOCとほぼ同時に創設された“Syndicat des Vignerons del’AOC Condrieu”の任務を引き継いでいます。

 

このシンジケートは 1940 年 5 月に設立準備が進みましたが戦争により中断1944 年有効となりました。1944年9月設立、初代会長はジョセフ・ヴォーダイン(Joseph Vaudaine)、1980年代まではブドウ畑の経済状況が悪化し放棄された丘陵地帯が増えたため、その後シャヴァネ(Chavanay)、マルヴァル(Malleval)、リモニー(Limony)、サンピエールドブーフ(St Pierre de Bœuf)のコミューンが追加されたと考えられています。それ以来若いワイン生産者たちがブドウ栽培に加わり丘陵斜面に植え替えされていきました。

 

この時代を象徴するワイン生産者ジョルジュ・ヴェルネ(Georges Vernay)は1990年代半ばまでシンジケートの代表を務め彼のリーダーシップのもと非常に広く定義されていたアペラシオンの地域が1986年に改訂され、最高の丘陵地帯に大幅に縮小されました。以降シンジケートの代表としてロベール・ニエロ(Robert Niero)、フィリップ・フォーリ(Philippe Faury)、イヴ・キュイエロン(Yves Cuilleron)、そして現在はクリストフ・ピション(Christophe Pichon)が代表を務めます。このダイナミックなワイン生産者たちによるチームでの支援と貢献により卓越したアペラシオンへと成長していきました。 つづく

 

AOCコンドリューワイン生産者連合サイト参照

https://www.vin-condrieu.fr/vin-aoc/fr/home

 

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【AOC】Côte Rôtie コート・ロティ2022/3/11

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◆エリア

ローヌ川右岸、コート・デュ・ローヌ・セプテントリオナル(北ローヌ)の北部に位置するコート・ロティ。地理的エリアは1940年以来アンピュイ(Ampuis)とテュパン・エ・セモン(Tupin Semons)の2つの自治体にまたがる。アペラシオン(原産地統制呼称)は1966年にサン・シル・シュル・ローヌ(Saint-Cyr Sur Rhône)のコミューンにも拡張された。

 

 

◆テロワール(地理や環境条件)

フランス中南部を占める山地マッシフ・セントラル(中央山塊)の東端に位置しており、非常に急な斜面でブドウは栽培されている。南向きに開けた場所であるため畑は北・西側から吹く風から守られて例外的な微気候の恩恵を受けている。コート・ロティは正確には「ラ・コート・ブリュンヌ」と「ラ・コート・ブロンド」の2区画に区分され土地の特徴が異なる。

 

 

◆主な土壌
「コート・ブリュンヌ」
アペラシオン全体の3分の2を占めるコート・ブリュンヌは北部のサン・シル・シュル・ローヌとアンピュイにあたり、主に粘土層と結晶片岩土壌、土の色はより濃い。コート・ブリュンヌを象徴するテロワールは、レ・グランド・プラス、ランスマン、コート・ロジエ、ランドンヌ。これらは4つのドメーヌ「ロスタン」「ゲラン」「ギガル」「ドゥラス」で製造されている。

「コート・ブロンド」
アンピュイから南へテュパン・エ・セモン、アペラシオン・コンドリューの境界線にかけて広がるのがコート・ブロンドで片麻岩、土の色は明るめ。南部のメゾン・ルージュやコトー・ド・バスノンが有名。ここでは白ブドウのヴィオニエも作られている。

 

 

◆ブドウ品種
シラー、ヴィオニエ(最大20%)

 
◆ワインの特徴
コート・ロティは一般的に非常に複雑さのある芳香とエレガントで上質な赤ワインとなる。テロワールにより一層特徴づけられ、北部の「コート・ブリュンヌ」はタンニンが効いた力強い印象で骨格のしっかりしたワイン、南部の「コート・ブロンド」はバランスよく上質なタンニンを感じられるまろやかで優しい味わいで若いうちから楽しめるとされる。

 

 

◆歴史
ガロ・ローマ時代から知られたブドウ産地でローマ人がリオンの南30キロにあるヴィエンヌ(Vienne)を植民地とした頃よりブドウ畑の開発が進んだ。中世の終わりまではこの地域の領主によって作られた障害物により北側とのワイン貿易は発展しなかったが17世紀になりロワール川によってパリへの流通が発展、以来この産地のワインの評判が徐々に高まっていった。

 

 

◆醸造方法
長時間の醸し(マセラシオン)により果皮をつけこみ発酵。ヴィオニエを最大20%まで加えることが許されている。

 

 

◆基本収量
40hl / ha

 

 

◆生産ワイン比率

N/A
◆栽培面積

N/A

 

参照
INAOデータ 2021年6月11日更新
La Revue du Vin de France No.600 2016年 4月号

 

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「コート・ロティ」ローヌの新たな選択肢


【AOC】Châteauneuf-du-Pape シャトーヌフ・デュ・パプ12021/12/10

シャトーヌフ・デュ・パプ

◆エリア
ローヌ地方主要都市アヴィニョンの北約15km付近に位置し、ローヌ川左岸に広がる産地

ヴォークリューズ県(Vaucluse)の5つのコミューン  シャトーヌフ・デュ・パプ(Châteauneuf du Pape) ベダリッド(Bédarrides)クルテゾン( Courthézon)オランジュ (Orange)ソルグ( Sorgues)にあたる

 

◆テロワール

地中海性気候で、ローヌ地方で最も乾燥している。日照は年間約2800時間、夏の平均気温は25℃。ミストラルが空気を乾燥させ、ブドウを健やかに保つ。氷河期にアルプスからローヌ地方の河川を通り運ばれた丸い石は、日中に太陽の熱を集め、夜は熱を放射するため、ブドウ栽培に適した土地となっている。土壌はやや深く、非常に石が多い。大部分が砂の多い赤い粘土と混ざった大きさな珪岩の石の層からなる。

 

◆主な土壌

・古い段丘の石の多い土壌
・モラッセ(アルプスの砕屑物を主とする厚い古第三紀層、礫,砂,粘土などが雑然として堆積した厚い地層) と砂岩の砂質土
・石灰岩の下層土の上に小石の多い土壌

砂質

 

◆生産ワイン比率

赤(94%)、白(6%) 2009年データ

 

◆栽培面積

3,164ha

密度はブドウの木の間が最大2m、1ヘクタールあたり最小3,000本のブドウの木、列の間隔は最大2.50m

 

◆基本収量

35hl/ha

 

◆ブドウ品種

グルナッシュ、シラー、ムールヴェドル、ピクプール、テレノワール、クノワーズ、ミュスカルダン、ヴァカレーズ、ピカルダン、サンソー、クレレット、ルーサンヌ、ブールブラン

 

◆ワインの特徴

【白】フローラルなニュアンスがある繊細なアロマをもつ。味わいはバランスがとれ、アロマの爽やかさが残る。

【赤】深い濃赤色で重厚なものから軽めで柔らかいエレガントなものもある。太陽を感じる赤い果実、スパイス、熟成によりジビエの香りが現れる。味わいはまろやかで、しなやかなボディをもつ。土壌の複雑さ、ブドウ品種のアサンブラージュなどによって、多様なワインを生み出している。

 

◆飲用温度

【白】8~12℃ 【赤】16~18℃

 

◆AOC取得年

1936
◆日照時間

2800時間/年
◆降雨量

670mm/年

 

 

◆ミストラルの吹く日

130日/年

 

 

◆歴史

シャトーヌフ・デュ・パプは「教皇の新しい城」を意味している。アヴィニョンにローマ教皇庁があった14世紀頃に教皇の避暑地としてこの城を建てたことに由来しており今は廃墟となっているが村のシンボル。歴代の教皇がブドウ栽培を奨励しそれが現在に続き多様な品種が作られているのが魅力的でもある。ワインボトルは特徴的で、教皇のかぶる三重王冠の下に2つの鍵が交差する紋章がラベルの上部に入っていることが多い。またここは原産地呼称制度(AOC)の基盤が形成されたエリアでもあり、19世紀後半の害虫フィロキセラの被害を受け、ワインの品質悪化、偽造ワインの流通が増す中、当地のルロワ男爵が産地の名声を守るべく1923年ワイン生産者と組合を結成、生産地やブドウ品種の制限、栽培の決まりの制定を提唱したことが始まり。この活動はやがて各地に広がり1935年にフランス全土に及ぶ公的な制度へと発展した。

 

参照 : inter rhone

http://www.chateauneuf.com/english/index.html

INAOデータ 2021年12月一部更新
シャトーヌフ・デュ・パプ


【AOC】Châteauneuf-du-Pape シャトーヌフ・デュ・パプ22021/10/29

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歴史:
発見された珍しい文書によれば村の歴史はとても古く、過去を追跡するのはとても難しいが何世紀にもわたって村の名前が進化してきた。1094年にさかのぼり、文書には「カストロノヴォ(Castronovo)」という名前で村の歴史が記載されている。これは「要塞化された村」を意味する。13世紀には村は「シャトーヌフ・カルセルニエ(Châteauneuf-Calcernier)」と名付けられ、当時大量に生産されていた石灰を示す「カルセルニエ(calcernier)」が由来となり村の経済的成功に貢献していた。1893年、教皇ヨハネス22世の主導で14世紀に建てられた城がある場所を、ジョセフ・デュコ市長と役人の要請により「シャトーヌフ・デュ・パプ」と名付けられた。

 

村の経済活動の進化:
村の経済には2つの物流経路があった。ひとつは重要な水路であるローヌ川、もうひとつはローマ人により建設され、アルルから南へ、リヨンから北へのアクセスを可能にした「幹線道路」。13世紀には建設に使用される石灰に関わる全体の需要が高まり当時シャトーヌフ・カルセニエで生産された石灰の質と量により村は活気が溢れ繁栄がもらたされた。14世紀に村は石灰、タイル、塩、ぶどう樹の栽培により商業が活性化。クオリティーの高いタイルの販売は成功、また塩の商船がローヌの他の港に課せられる税金の対象とされることなく、そこで商品を降ろすことができるよう、アヴィニョンの司教は1238年にシャトーヌフ近くに設立された港で塩の貿易を行うため無料で港を所有する権利を与えた。当時、塩は特別なもので村の重要な収入源であった。14世紀初頭、教皇の到着は村の経済的ダイナミズムの始まりとなる。村の多くの住民が働きについたが、外部からも多くの労働者や職人がやってきて城の建設に取り組む。シャトーヌフ港は、石灰以外の材料の供給において主要な役割を果たしていた。貿易と村の採石場からのタイルと石を使った工芸品で賑わいをみせる。14世紀には、ぶどう樹が耕作地のほぼ半分を占め、残りの半分は穀物が栽培され、オリーブの木や、バラの文化も存在した。何世紀にもわたりぶどう樹の栽培は村の経済を占めてきたが17世紀の終わりにはワイン貿易や樽職人はほとんど姿を消す。1866年のブドウネアブラムシの危機後ぶどう畑の再建がはじまる。第一次世界大戦の前にはシャトーヌフ・デュ・パプには11の樽職人がいたが、ワインの輸送方法の移り替わりにより樽職人は徐々に消えていく。現在の経済活動はぶどう畑と観光業に集中している。

 

 

有名なぶどう畑:
ローマ時代にまでさかのぼり、見つかった最も古い書物では1157年にぶどう樹の栽培について触れられている。アヴィニョンに教皇が到着したことでぶどう畑に新しい命が吹き込まれ、このぶどう畑のワインに興味を示したのはクレメンス5世。彼の後継者であるヨハネス22世は城の建設の起源となる教皇であり、彼を「ワインの教皇」と呼んだ。1325年から1334年まで、3,000リットル以上のワインが教皇庁で販売され、開催されるレセプションには多くの外国大使が招待されていた。樽はイタリア、ドイツ、イギリスだけでなく、大西洋を越えて迅速に出荷されていたが、18世紀に樽での販売はボトルの販売へと代わる。シャトーヌフ・デュ・パプの4つの代表的な品種はジョセフ・デュコ(Joseph Ducos)市長により試飲を重ねブドウ品種の魅力、特徴を定義し決定された。ブドウネアブラムシは1866年にぶどう畑を襲い19世紀の終わりまで続く。ブドウ畑の再建は1878年まで行われなかった。現在はぶどう畑の面積は大きくなり、生産量も増え、ワインの取引も活況を呈している。

1933年、フランスの最高司法裁判所によってシャトーヌフ・デュ・パプの原産地と生産条件が確認され、原産地の品質が保証された。現在、3,200ヘクタールのぶどう畑がシャトーヌフ・デュ・パプのアペラシオンとして、そのワインは世界中で高く評価されている。

 

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参照:シャトーヌフ・デュ・パプ役所サイト
https://www.chateauneufdupape.org/fr/48/histoire-du-village-de-chateauneuf-du-pape

 

 

【AOC】Châteauneuf-du-Pape シャトーヌフ・デュ・パプ1

 


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