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Edgar Degas exhibition in Paris at the Musée d’Orsay until February 25th: a rare occasion to enjoy his striking paintings on women and alcohol.2018/2/15

Beyond his famous ballerinas’ paintings, this exhibition is the occasion to discover several of his paintings revealing the toughness of life at the time.

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For the 100th anniversary of Edgar Degas death( born Hilaire Germain Edgar de Gas), French painter, sculptor, printmaker and photographer, the Orsay Museum pays him a tribute until February 25th with an exceptionnal exhibition combining sketches, charcoal, pastels & red chalks drawings.
The work is presented along with Paul Valéry text “Degas, Danse, Dessin” who was a closed friend of the artist.
The friendship between Degas and Valéry lasting more than twenty years resulted in an essay published by Editions Vollard in 1937, Degas Danse Dessin. Both intimate and universal, it conveys a poetic, fragmentary image of the painter’s personality and his art, and a kind of meditation on the creative process.

If Degas is well known by a large public for his pictorial representations of young ballerinas, confined interiors or his bronze sculptures, others types of work gained mondial recognition and notoriety.
Among them, those depicting women and alcohol, which have earned the esteem of many historians.

The vast majority of women living in the 19th century in Paris were from very poor backgrounds and were finding comfort in cafés, popular dancing halls of the capital.
There, they could drink without fear of judgement, absinthe and wine. A free attitude magnified by Degas in his compositions.

-L'Absinthe-,_par_Edgar_Degas_(1876)

Privileged witness of a fast changing world encompassing strong inegalities and contrasts.
This banker’s son saw Champagne bubbling and endlessly flowing in the National Opera backstage, uper class salons or horse competitions but also captured the despair of an era, and the use of the “green fairy” (refering to absinthe, a liquor made of anise, mint, flowers & leaves extracts) as an anti-depressant and drug for working-class women ( the so-called “grisettes”) loners, milliners and dressmakers.

http://www.musee-orsay.fr/
9h30 to 18h from Tuesday to Sunday
9h30 to 21h45 on Thursday
Closed every Mondays

(source La Revue du Vin de France February 2018)
http://shop.avin.jp/


「シンプルにワインを楽しむこと」サンジャックの道 “le chemin de Saint Jacques”2018/1/26

 

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一日中歩き回って、水しか飲んでいなかった時に飲むワインほど格別なものはない。

 

昨年の夏、あの世界遺産としても知られるサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路に行き、そのことを実感した。オーヴェルニュ(Auvergne)地方の山奥の宿にもワインがあるし、ブドウ畑が少ないマルジュリド(Margeride)地方の花崗岩質でできた高台の宿でさえ当たり前のようにワインがある。

 

不思議なことに、この巡礼路で食べる料理というのは味がワンランク上がり、質素な夕食がご馳走に変わってしまう。ある晩、ル・ピュイ=アン=ヴレ(le Puy-en-Velay)村の大きな玄武岩質の壁に阻まれた所にある宿泊施設グラン・セミネール・サン・ジョルジュ(Grand Séminaire Saint-Georges)にたどり着いた。食堂に入ると、夕食を給仕してくれる老人が(彼自身も巡礼者なのだけれど)、野菜スープと一緒にワインのボトルも忘れずに大きなテーブルに置いていく。ただ、EUのシンボルである星のラベルが貼られている瓶を見て、胃の調子がおかしくなりそうになった。「カーヴ・ド・ヴィエイユ・テール(EU構成国の複数のブドウを使用)」と書かれた白いエチケットを見る限り、味に関してはとても期待はできない。実際、これほど薄っぺらくて、余韻のない安ワインを飲んだのはどれだけ振りだろう。デュラレックスのコップというのは昔は食堂でよく目にしたが、そのコップに注がれたワインのせいで一瞬にして気持ちが萎え、70年代の頃を思い出してしまった。

 

きっとこのボトルは何か特別な旅を予見していたのかもしれない。結果としては、当初の期待に違わずとても素晴らしいものだった。今まで見たこともないような美しい景色の中を自分の足で歩くことができたのは本当に素晴らしく、オーヴェルニュ(Auvergne)地方、ルエルグ(Rouergue)地方、ケルシー(Quercy)地方にある昔ながらの田舎の風景を残す村々や黄金色に輝いた農場の中を歩いていく時はただただ感動するばかりだった。コンク(Conques)村やロカマドゥール(Rocamadour)村で瞑想したり、カオール(Cahors)村では祈りを捧げ、モワサック(Moissac)村の修道院ではその美しさに息をのんだ。そしてそのモワサッ村では、幻の白ワインブドウ品種シャスラ・ドレが世界遺産に囲まれて育てられているのも見ることができた。こうして、毎晩新しいワイン、それもびっくりするようなワインで晩酌することになった。

 

ある日の午後、太陽が照りつける中オーブラック(Aubrac)村を歩いたせいで顔が日焼けをして真っ赤になり、ナスビナル(Nasbinals)村のルート・ダルジャン・ホテル(Hôtel de la Route d’Argent)に着いた頃にはヘトヘトになっていた。その宿の亭主バスティドが出してくれた料理はシャルキュトリーの盛り合わせ、アリゴ(じゃがいもとチーズを練り上げたオーブラック地方の郷土料理)、それにリ・ド・ヴォーのセップ茸添えで、その素晴らしい食材のおかげであっという間に体力を回復することができた。そしてお腹を空かせた巡礼者たちのテーブルには、マグナムボトルのロゼワインが何本も振る舞われた。気品などはないワインだけれど、よく冷えていて喉の渇きを癒やしてくれる。それだけでもう十分豪華な食事と言っていい。

サン・コム・ドルト村にあるマレ修道院でドゥニーズという名の修道女が振る舞ってくれたコート・ド・ローヌ(Saint-Côme-d’Olt)のワインのことも忘れられない。その時は同じく巡礼中のアレックスという32歳の機動憲兵隊員も一緒にいて、雨の中修道院にたどり着いた。その時にその修道女が、「さぁ、このワインで体を温めて下さい。」という言葉で我々を迎え入れてくれた。巡礼の旅路でなければきっとその場で彼女を抱きしめていただろう。テミーヌ(Thémines)村では、ネリー・ラカリエールさんが旦那のワイン庫から出してくれたカオール産ワインとヤギのチーズを夕食にどうぞと分けてくれた(それもたった3ユーロで)。ちょうどその日の夜はカバンの中には食べるものが何もなく、しかもその村にはレストランも食料品店もなかった。そうして牧草の中で、2頭の馬を目の前にしながら夕食を食べたこともあった。

 

巡礼の旅というのは禁欲的な側面もあるけれども、道中での出会いや友情にも恵まれている。ブールドワール(Bouldoires)村では、パトリックとクリスティーヌのネイロール夫妻と食べた昼食に舌鼓をうち、オリヴィエ・ジュリアンのワインのおかげで話も弾んだ。そしてケルシー・ブラン(Quercy Blanc)地方に入ると、ひまわりで黄色く彩られたモンキュック(Montcuq)村の路を歩き、デトレヴ・バレル共同宿泊所で一泊した。その次に訪れた小高い丘の上に作られた美しいロゼルト(Lauzerte)村では、ホテル・デュ・ケルシー(Hôtel du Quercy)でマリーと一緒に夕食をし、素晴らしいシャトーヌフ=デュ=パプのワインを飲むこともできて本当に至福の時だった!

 

コンポステーラ巡礼という経験は今ではそれほど特別なものではなくなっているけれども、何が印象に残っているだろう?

 

とりあえず、食べ過ぎで罪悪感を感じることはないというのは言える。とにかく歩くのだから。1日に6時間から8時間、毎日25キロから30キロくらい。肉体的にも精神的にもいいことだ。しかもいろんなものと巡り会う機会がある。ワイン、石の十字架、あるいは巡礼路沿いの森だったり。それらは人類共通の宝物と言っていいものだ。思いもかけないようなワインと毎晩出会える幸運にも恵まれる。

 

ヨーロッパでそのような経験を味わうことのできるのはフランスとイタリアぐらいなものだろう。
画一化されていない国を旅するということこそ、旅の醍醐味と言える。

 

LA Revue du Vin de France no.616 Nov.2017 記事抜粋
著)La RVF編集長ドゥ二・サヴェロ(Denis Saverot)

翻訳 POPO

 

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「コート・ロティ」ローヌの新たな選択肢2017/11/17

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1980年代一時は消失の危機を迎えたローヌ北部コート・ロティは、今日最も繊細なシラーのワインを産出する地と変貌と遂げた。現在フランス国内のシラーの売上の70%シェアを誇る。

 

「ラ・コート・ロティ 焼け付く大地」

数年に渡って他のいかなる醸造所よりも優れた味の進展を見せた地である。

 

90年代、かつてこの地の多くのワインが、ワインの持つ若々しさ、男性的な強さ、木の香りのニュアンスや動物的な香りを強調していた時代があった。しかし今日、アンピュイ周辺で作られるワインにはより厳選された特性が見受けられる。その果実の爽やかな味わいはまるで輝いているかのように魅力的で、ブルゴーニュのピノ・ノワールを感じさせる。そして何より特筆すべきはラ・コート・ロティ全体の品質のレベルが安定し優れた水準を保っていることである。

 

80年代からのレコンキスタ(復活)

技術面において、ワイン醸造(アルコール発酵)の工程は穏やかなものとなっている。多くの醸造所が過度のピジャージュ(PIGEAGEタンクや大樽内で発酵中ブドウの皮の層を上下に攪拌すること)を控えるようになった。

ワインの成功のもとがヴァンダンジュ・アンティエール(VENDANGES ÉNTIÈRES ブドウ収穫後、茎ごと圧搾し発酵すること。通常は青臭さやエグミを避けるために取り除かれるが、茎にもタンニンが含まれるためワインの寿命は長くなる。ロマネ・コンティもこの製法で作られる)によるところも大きい。アンピュイ村のドメーヌ・ジャメ、ギガルなどは他の製造所にもこの技法を伝えている。白ブドウ種やヴィオニエには糖分が多く、従来補糖(シャプタリザシオン)に用いられてきた。こうした品種は1940年代には2割を占めていたが、2016年には5%以下にまで抑えられるようになった。結果、バイオレットのニュアンス、血色の表層には芳香族化合物のアロマが加わる。シラー種の栽培と熟成には北の限界線と言われるこのアペラシオン特有のメリットを生かしているのだ。そうしてついにコート・ロティはエルミタージュの多くのものよりもよりフレッシュで落ち着いたスタイルを獲得したのである。

 

なんという長い道のりだっただろう。

信じがたいことにコート・ロティは一時消失の危機にさらされたのである。

 

「私たちのアペラシオンは世界大戦後、非常に深刻な時期を迎えました」

 

そう語るのは、フィリップ・ギガル氏。この地でも過疎化の問題が急激に広がり、農業を諦める人が大勢増えた時期、多くの畑が放棄されることとなった。地獄のような悪循環からなんとか脱するために、誰かが立ち上がったのがエティエンヌ・ギガル。ヴィダル・フールリー社の雇い職人だった彼はコート・ロティの持つ潜在能力に賭けて50年代に企業し、ブドウ苗を購入、栽培から全てをスタートさせた。それはやがて息子のマルセルへと受け継がれる。

 

50年に渡る努力は次第に実を結び始め他の醸造所クルーゼル、ジャメ、ビュルゴー各社が続く。70年代末、コート・ロティは50ヘクタールのブドウ畑を管轄していたが、1989年には2倍の100ヘクタールに増加し1914年以前の状態に戻り、2000年初頭には200ヘクタール、今日では300ヘクタールのブドウ畑が3つのエリア(アンピュイ、サン・シール・ル・ローヌ、テュパン・エ・セモン)で栽培されている。

 

コート・ロティは正確には2つの区画に区分される。ラ・コート・ブリュンヌとラ・コート・ブロンドと呼ばれそれぞれに土地の特徴がある。

 

コート・ブリュンヌ

コート・ロティのアペラシオン内北部にあたるサン・シール・ル・ローヌとアンピュイ。

アペラシオン全体の3分の2を占めるコート・ブリュンヌは粘土層と結晶片岩の土壌を持ち、土の色はより濃い。コート・ブリュンヌを象徴するテロワールは、レ・グランド・プラス、ランスマン、コート・ロジエ、そして有名なランドンヌ。これらは4つのドメーヌ「ロスタン」「ゲラン」「ギガル」「ドゥラス」で製造がされる。ここで生まれるワインはしっかりとしたストラクチャーを持ち、タンニンが効いた力強い印象を与える。

 

コート・ブロンド

アンピュイから南へテュパン・エ・セモン、アペラシオン・コンドリューの境界線にかけて広がるのがコート・ブロンド、花崗岩質の白い土地。土の色は明るく、ここで最も知られるのは南部のメゾン・ルージュやコトー・ド・バスノンだろう。コート・ブロンドのワインはよりまろやかで優しい味わいを持つのが特徴で若いうちから楽しめる。ここではヴィオニエも作られる。

 

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“リュー・ディの区分によるキュベの増加は、ワインの多様性というものに大いに貢献するのです”

 

「リュー・ディ lieu-ditとはフランスで土地台帳が創設されて以来、その名を地形学あるいは歴史的な特性に由来する土地の小さな区画を指し、“ブルゴーニュ”といった土地の性質ではなく、土地の所有者による土地の登録に該当する。」

ドメーヌ・ジョルジュ・ヴェルネのクリスティーヌ・ヴェルネは説明する。アペラシオンの中でも優れたリュー・ディによるより細かな階級化がされる日は来るのだろうか。そうなればコート・ロティの可能性はますます期待されるものになるだろう。

 

偉大なるダイナミズム

ミシェル・シャプティエ氏により、私はコート・ロティの進展がまだ始まりの段階であることに気づかされた。ブドウ畑の土は年々熟成し、新たな植え付けの際には必ず改善策が施される。他と比べてビオワインの普及に遅れが見られるのは、コート・ロティがローヌ南部の地より湿度が高いせいであり、また若い世代の者たちはこれからできるだけ早く有機農法に着手しなければならないことを認識している。特に2013年のワインは非常に美味であり、豊かな芳香にあふれた仕上がりとなっている。変化を恐れず見事に宙へと飛び込むダイナミズムである。(フィリップ・モーランジュ)

M・シャプティエ社は1808年、ボルドーに次ぐフランス第2位のA.O.Cワイン産地のコート・デュ・ローヌ、エルミタージュの丘で創業したローヌ地方を代表するワイナリー。7代目現社長のミシェル・シャプティエ氏に至るまで、家族経営のもとテロワールを大切に守り品質の高いワインを造り続けている。

 

ドメーヌ・ジョルジュ・ヴェルネ

クリスティーヌ・ヴェルネ氏、赤ワインのセンシュアリティ(官能性)について語る

コンドリューにあるジョルジュ・ヴェルネはコート・ロティに6ヘクタールのブドウ栽培地を保有する。3つのリュー・ディを保有し、コート・ブロンドのメゾン・ルージュでは古株から特徴的なキュベを作っている。ランスマンとコトー・ド・バスノンではブロンド・ド・セニュールのためのシラーと5%のヴィオニエを栽培する。

「今後はシラーの熟成により一層力を入れていきたいと思います。従来よりワインの熟成期間を長くさせ、ブロンド・ド・セニュールは18ヶ月、メゾン・ルージュは完成までに24ヶ月かけています。こうすることで私たちの赤ワインの良さが現れて来るのです。」

シラーの持つ深い魅力的な味わいと、造り手の感性を求める長期熟成が合わさり、ここに一つの美しい調和が誕生したのだ。

 

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La Revue du Vin de France No.600 2016年 4月号

 

著:フィリップ・モーランジュ、ロベルト・ペトロニオ

www.larvf.com.

翻訳 橋井杏


ワインと水の関係 「ジュテーム、モワ ノンプリュ」2017/9/29

愛しているよ。うん 私も愛してない。

 

 

葡萄の果汁が発酵する神秘

 

果実に含まれる酵素が複雑で甘美な、そして幸福感をもたらす飲み物を生み出す。

 

地中から葡萄の樹木によって吸い上げられた大量の水、数えきれない土のミネラル成分が混じり合い、そしてさらに葡萄の糖分が醸造によってアルコールへと変質していく過程によってつくられる香りと風味が加わる。これらが表現するものは、テロワールの性質に他ならない。

ワインを造るには雨水や灌漑用水だけでは足りず、むしろ醸造場やカーヴ、機械類…これら全てを常に使えるよう清潔に保っておくための大量の水が欠かせないのである。

 

しかしながら水というものがいかに高潔であると言われても、ブドウ栽培者たちが使用量を増やしている化学肥料の中には、水脈や地下水にとって無害とは言えないものが少なからず存在している。

 

品質の高いワインを造るには、専門性とその販路を開拓することが必要である。都市部の市場の近くに拠点を持つこと、またそうした市場にたやすく出入りするための関係の構築が欠かせないのである。

例えばローヌ、ガロンヌ、サオーヌ、セーヌ、ライン、ドナウ、といった河川のように、古代ギリシャ時代から大都市や港町以外の河川の周辺地域でワイナリーを構えることは、大手のワイン生産者にとってワインを船で運ぶ面から大きな役割を果たしていた。このように河川周辺に存在したワイン生産者たちは、何世紀にも渡り蓄積した知識と経験によって、今でも旧大陸(ユーラシア)における優れたワインを造り続けている。

 

ワインと水のもうひとつの関係性を取り上げてみたい。

 

ワインと水の混合、フランスの諺にMettre de l’eau dans son vin《ワインに水を混ぜる》というのがある。

 

地中海周辺域にあった文明、ヘブライ、ギリシャ、ローマなどに見られる、純粋なワインを飲みすぐに深酔いする野蛮な古くからの慣行を打ち破る諺であった。

 

そもそも当時は純粋と呼べるワインはほとんどなく、ワインに含まれる大量の添加物や保存料は体を重く感じさせ、頭痛をもたらしたのであったからワインに水を混ぜる行為は少なくとも二十世紀の終わりまで多くのヨーロッパ人にとって馴染み深いものとなった。ルイ14世やナポレオン皇帝でさえ、ヴォーヌ・ロマネやシャンベルタンに水や氷を足して飲んでいたのである。

 

ヨーロッパで最初に純粋なまま飲まれたのは一七世紀の終わりのイギリス、それも発泡性のシャンパーニュであった。フランスでは一八世紀初頭のオルレアン公フィリップによる摂政時代以降となる。随分と昔から、意地の悪い商人たちはワインに水道水を混ぜて利潤をあげようと考えてきたのであるが、カリフォルニアではそれはワインのアルコール度数を下げるという面から合法となっている。この許されざる重罪は今でも完全には無くなっていない。ブルゴーニュでは一人の商売人の不正行為が厳しく裁かれたことがあった。酌量の余地もないことであろう。

 

 

かつてワインと水を混ぜていたといわれるアンフォラ(つぼ)

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ジャン=ロベール・ピット

(ソルボンヌ大学教授・地理学者、フランス・ワインアカデミー会長)

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Mettre de l’eau dans son vin. 酒に水を割る
興奮をさまし、激しい決意を和らげ、中庸の域に戻ること
ぶどう酒に水を割って薄めて飲むことはギリシャ人の発明で、ギリシャ人はこれを神意にもとづく結構なことだと思い、「バッカスの激しさを水の精との交わりによって静める(プルタルコス)」とか「酒乱の神を下戸の神によってなだめる」(プラトン)」とか言った。

白水社田辺貞之助編「フランス故事ことわざ辞典」

 

La Revue du Vin de France No.605 2016年 10月号

www.larvf.com.

翻訳 橋井杏

 

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ローヌワインの愛好家はこの10年間に5割増加!2017/9/14

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フランスワイン雑誌「La Revue du vin de France」より

 

フランス国内において
ローヌワインの愛好家はこの10年間に5割増加!

 

今週末の3連休は
あなたもぜひ南仏のローヌワインを選ぶ勇気を持って!!

 

北ローヌのエリア名をいくつか挙げるなら・・・
コンドリュー、サンペレ(白)、コートロティ、コルナス、エルミタージュ、サンジョセフ(赤)・・・
ローヌ川を下りながら、思い浮かべていますが
飲みたいものがつきません。

 

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南ローヌなら
コートデュローヌ、シャトーヌフデュパプ、ジゴンダス、ヴァケラス、リュベロン、ヴァントゥー(赤)タヴェル(ロゼ)・・
白もわずかにあります。

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気軽~に飲むものから、エレガントなものまで

Discover Rhone !!!!

 

★ローヌ&プロヴァンスワインの店aVin(アヴァン)では
9/14(木)から原宿で週1日だけ、南仏ワインバーも始めます!
南仏ワインをグラスでぜひ♪
http://avin.jp/event/1331

 

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フランスではボルドーに次ぐ生産量を誇る南仏ローヌワイン。

近年確実にその人気を集めており、10年前と比べその消費量は49.4%増大している。

ヴァレ・デュ・ローヌの希少性は広く認知され、オークションでも価格はコンスタントに成長を続けている。

北ローヌでは、コートロティのギガル御三家がさらなる伸び。ラ・ランドンヌ2005年とラ・ムーリーヌ2005年はそれぞれ408ユーロ、384ユーロとなっている。

南ローヌのシャトーヌフ・デュ・パプに至っては、ペゴー社が際立って評価を高めており、2000年度のキュベ・ダカーポはマグナムサイズで744ユーロ、2007年度のボトルで300ユーロとなった。

またシャトー・ラヤスとボノー社の二大巨頭も忘れてはならないだろう。

 

La Revue du vin de France no.607/dec 2016-jan 2017記事抜粋
www.larvf.com.
翻訳 橋井杏

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